国母選手8位に終わる。

返す返すも、決勝の転倒は残念だった。着地に失敗し唇を切ったのも、大技に挑戦したからこその失敗で、転倒さえ無ければメダルも夢ではなかったろう。
だが、国母選手だけでなく、スノーボードという競技全体の事を思うと、これで良かったのかもしれない。

トリノから引きずる因縁

今回、問題が大きくなったのは、服装の問題だけではなかった。なぜ、彼が激しく非難されなければならなかったのか?今回、初めて国母と言う名を聞いた人にはマスコミの過剰反応としか思えなかったに違いない。だが、彼の態度が騒ぎに火を付けたのだ。なぜなら、彼(又は彼らスノーボードチーム)には前科がある。
前回のトリノ冬期オリンピックで国母選手を含めたスノーボードチームは同じ代表の選手を馬鹿にした発言をし、チーム内でいじめをおこし、予選を敗退した後には選手村の壁を破るなど数々の問題を起こしたのだ。
オリンピックの取材陣は当然、前回の騒動を覚えている。ゴシップ系の記者ならば、当然そういう騒ぎを期待していたであろう。もしかすると、今回は精神的な成長を遂げた姿を期待し、その文脈で取材を用意していたのかもしれないが。
服装には別段問題を感じていなかった私でも、あのふて腐れた態度を見て「やっぱり変わっていなかった。(前回の問題行動を反省していなかったんだ。)」と思ったのだから。

国母選手の態度はスノーボードの発展に寄与するのか?

指導者も、初めの会見時に、中途半端な謝り方をさせずに、謝るべき所をはっきりさせ、「不快感を与えたなら、謝る。理解してもらえないかもしれないが、これがオレのスタイルだから。」ぐらいの台詞を用意させればよかったのだ。さらに言うなら、国母選手は学生でもあるが、すでにプロとして活躍している選手だ。プロスポーツはファン合ってこそ成り立っている。プロ選手であればインタビューを受けるのも仕事のうちであろう。だが、あの会見での態度はどう割り引いてもプロ選手のそれではなかった。
彼は、出国時に「格好いいと思ってもらえればいい。最近のスノーボードはすげえダセえから」とも発言していた。彼の思い描いていた格好良さとは違っていたであろうが、転倒しても果敢に2回目の挑戦をした姿はそれなりに感動を覚える物であった。だからこそ、ファンが尊敬出来る人物になって欲しいと期待してしまう。
強さのみが評価される人生では虚しい。強者へのリスペクトだけでなく、人として普通の人への配慮、尊重も出来る人格を育んでもらいたい。即物的な考えだが、次の世代の事もある。親達が「あのスポーツをやると、あんな風に育つなら、子供にやらせたくない。」と思われてしまえば先細りだ。スノーボードと言う競技自体まだ歴史が浅く、関わるスタッフも若い人が多いのであろうが、品行方正にするのも生き残りの戦略だ。
ぜひとも、親が子供達の見本に出来る「人格の優れた選手」を育成して頂きたい。